桜の森が満開になる季節に

日々の想いを。月と星のきれいな、霧の村から。

第2回 Grateful days~

まずはリアルな奴ら手ぇたたけ。

 

職人職ってのはすげーことだと思うんだわ

 

手に職、手に技術、

 

それって誰にでもできるわけじゃねーし、

 

そこにいたるまでってやっぱそんだけの努力が必要だし。

 

5年だろうと10年だろうと50年だろうと、

 

それぞれにそれぞれのできること、限界、悩み、努力あると思うんだ。

 

そこをさ、学ぶ上でさ、どーしても教わんなきゃじゃん。

 

教えるってさ、自分の為にならないことあんだ。

 

学校教員とか塾講師は別よ。

 

じょーずに教えて、気に入られて、

 

じゃねーとそれメインで働いてたらお金もらえないし、働き連れぇ。

 

まぁだからそこそこ安定してる学校教師にはやべー人もいるわけよ。

 

塾講師なんか人気なくなったらその仕事は終わりだから、まぁ嫌われることわしないし、結果も残そうと努力するわけだと思うし。

 

そういう、教えるって立場で

 

職人職っての考えると、

 

まぁ教えることで、自分のプラスになることって

 

そんなに多くないと思うんだ。

 

まぁ自分ができりゃ、やれりゃ、飯食くえんだ。

 

なかには、自分ひとりじゃ手に負えない仕事量あって、

 

どうにか自分の弟子を一人前にしなきゃ、

 

ついでに、弟子いなくなったら終わりじゃんってこともあると思うし。

 

けど、大半が自分ができりゃ、飯食えんだ、仕事まわんだ。

 

職人職の業・わざってさ、どーしても自分ひとりじゃ身につかないことあんだ。

 

職人職の業・わざってさ、どーしても先輩がうまいんだ、しゃーね。

 

知識と違うからさ。時間と経験がものをいう割合がどうしても大きいから。

 

そうなったときにさ、

 

絶対さ、

 

マウントとっちゃだめだと思うんだわ。

 

先輩が後輩に、マウントとったらだめってか、何の生産性もないと思うんだ。

 

そりゃそーだよ、後輩が自分よりできないのが前提の業なんだからさ。

 

マウントとって、ゴリって、そこには生産性の向上はないと思うんだ。

 

指導は違うよ。マウント、自己満のマウント。

 

後輩たちもだいたいは必死よ。

 

学ぼう、教わろう、身に着けよう。

 

けど、できねーことはできねぇ。

 

そこを理解するのも、先輩職人の業だと思うし。

 

 

マウンティングなんて、どこの世界にもあろうが、

 

 

職人職ってのは、

 

どーしても逆転マウントしづらい世界だから、

 

はびこるんだろうな。

 

そんで、

 

マウント苦手な後輩職人は、

 

どんだけ熱意あっても、中には才能があっても、

 

芽がでない、出づらいってことになんだろうな。

 

 

 

YOH,kj. それを超えてけ若き